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『おめめどう』さんの、自閉症・発達障害への視覚的支援が広まることを願っています!
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今でも、思い出す味がある。
若い頃、勤めていた会社横にあった中華料理店で食べた天津飯。
天津丼、とも呼ばれるようだけど、確かお品書きには飯(ハン)、だったと思う。
それまで食べたことがなかった。

お弁当持参の時期もあったけど、お昼にそのお店に行くときは、よく頼んでいた。「1日1個、玉子食べるんです」とか言って、先輩の方々にウケた思い出(?)がある。
大阪の本町界隈。(今の自分が当時の自分になって今より体力あったとしても、家から遠くて勤務地として選ばなかっただろう…業種にひかれたけれど、無理をしていた)

今では足を運ぶ機会もないけれど、
あのお店もいつしかなくなってしまい、二度と味わえることはないけど、
どこか自分の中で覚えている。
今あの味に出会ったら、そうそうこの味…!と言えるような。

レンゲでいただくから、よけい美味しく感じられるし、
自分ではとても作れないプロの味。

残業で遅くなった日には、途中の梅田で食べて帰ることもあり、
すっかり好物になっていた天津飯を食べたことも。
お店の名前も覚えていないけれど、そこのも美味しくて…。

こうして書いていると、近々、どこかで食べたくなる(^^;

色々、食事にも助けられてきている、とあらためて感謝。

今現在、ホッとできるひとときも。
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GW、かなりの冷え込みもありながらですが、
今日はそれも緩んできたみたいです。


前回の記事と繋がるようであるけれど…、
心の方、結婚後も色々、段階を経てきた。
そして娘が与えられ、育児で精一杯のような年月を過ごし…、
(結婚後半年ほどで、故郷の牧師先生とお知り合いだった牧師先生のアットホームな教会へ導かれたことは、私にとって大きなお恵みだった)

娘の発達面がわかってからは、自分なりに色々感じたり、考えたりもしながらきた。未熟者ゆえ、これからも失敗しながらだろうけれど。

当初は、それまでの不可解な違和感のようなものの謎が解けたようにすっきりはしたし、反面、どうしていったらいいのだろう?という不安もあった。
センターの専門家(臨床心理士)の先生には、ずいぶんお世話になってきた。
視点のようなものを教えられ、娘のどんな小さな変化も喜んでくださることは
大きな励ましともなってきた。

これまで数年、まだまだ理解が浅いので、学んでいかねば。お導きをただ感謝。私自身、娘と似たところもあるのだろうし、そういうところからも視ていければ。


娘のことに向き合うまで、その数年前より、自分の過去(育った家庭)にあらためて向き合う時も持っていた。(今から思えば、このことがある程度できていてよかった・でないともっと余裕がなかっただろうから)

これは自分にとって本当に必要なことで(というか必要に迫られるように)長年の想いが噴き出すような辛い時期でもあった。風呂掃除をしていても、突然、ぼろぼろ涙が出るような…。
そんな中、学校や子供会のお役目も何とか果たせたことも、自分の力だけではなかった。

夫や牧師先生にまで話を聴いていただいたりもした。迷惑をかけてしまった事もあったと思う。
まだ小さかった娘の前でも、できるだけ影響のないよう気をつけたけれど、よくない面もあったことだろう。

いかに自分の本心を無意識的に押し込めてきていたことか…。
誰でも自分の親を悪くは思いたくない、という気持ちもあるだろうし(自分自身の弱さもあったけれど、それがすべてでもなかったので)もともと平和を求める気持ちが特に強いみたいなので、感情を鈍麻させながらも、本質では敏感に反応していたのかも。

認めたときはなぜか心臓がドキドキしたものだった。
(もちろん親のすべてが悪いわけではないし、感謝の気持ちもずっと根底にあったし、今はあの時を通ったからこその関係もそれなりに築けてきている)本来の時期にも少しはあったが、遅すぎる反抗期だったようだ。(苦笑)(反抗期も個人差がありますが・夫は兄のものを見ていたので自分のはあまりなかったそう、性格にもよるかもしれない)

父も母も傷が癒えていなかったけれど、根が明るいところもあり、ぱっと見はごく一般的な家庭にも見えていたのでしょう。現に笑いもあったりしたのだけど、今思えば、変な家でした。笑いがあるというのは、悪いことではないですね。
別に変わっていてもいいのだけれど。大事なところが通っていれば…。(しかし、底の底のところでは、やはり通じていたのだろうし、複雑なもの・愛情を受けたのだけど、本物でない愛情もあったので…)

…心の傷の膿を出す作業は、大変なものです。(この事に限らず、大変さが不幸ではないとは思いますが・どうとらえるかによるもので)
私のような、父親が手をあげるような暴力はなかった家庭ですら、そうなのだから、もっと大変な方々はどれほどか、と思うことです。
さまざまな状況で、今、辛い想いをされていらっしゃる方は少しでも楽になられますように、と祈るばかりです。

私よりももっと恵まれたご家庭、環境でも、辛さを感じられた方もいらっしゃるかもしれない。
人によって、感じ方は異なるので、うまく表現できないけれど、自分と同じ物差しでははかれないと思っています。
育った環境も、千差万別とも言えるほど、まったく同じということはないでしょうし。

…それでも、その後、急激というわけではなくても、その想いは徐々に癒されていくのですね。(私の場合は徐々に、です。まさに劇的に癒される場合もあるでしょう)

どれほど癒されているのかデータで見えるものでもないので、まだ大事なところも残っているかもしれない。

ただ、ひとつ言えることは、やはり心持が底のところから軽くなって(乾いて?)きている感覚なので(途中、娘の発達面が加わったということがあっても、こちらも時間の存在というものも大きい)感謝しています。
その時その時、尊いお恵みをいただきつつ…。

acacia[アカシア]*松任谷由実
 一曲音楽をはさませていただきます。若い頃特に支えられたユーミンに敬意を表して。


今までの人生(大袈裟な表現ですが)色々な事、場、人、繋がりに励まされてきました。
まず自分で自分の世話(ケア)をする、ということもここ数年を通しても、学ぶような時間だったと思う。

傷が傷を癒す、という言葉。とても深い…。

リラックスしながら、一日一日大切にいこう。

これからの歩みにも色々な事があり、感謝できないような時もあるだろうけれど、それもなにか意味のあることととらえて…。

ここで言葉にしておきたくて記事にしたけれど、自分の思っていることを正確に文にするのって難しい、何度も書き直しました。

支離滅裂で長くなりましたが…、
皆様の大切な日々が、ますます光輝くものでありますように(^^)


桜のパーツを見つけました。時おり、ブログ内を葉っぱが舞い降りているかもしれません。
…かなり年月の隔たりがあるけれど、今に繋がっていること。

実家にいた頃、教会に行き始めていた頃かその前だったか忘れたけれど、
やや離れた、細い幹線から少し入ったところに小さな川があり、
その小さな土手(タンポポが咲いていたような)へ
ひとりになりたい時に、たまにふらっと行くことがあった。
50ccの小さなバイクで。(バイクは重宝で、礼拝に乗っていったりもしていた)
ふと思い出すことがある。

当時は何だかわからないもやもやを感じていて、
なにか消化したい思いがあったのだとは思うけれど、
思えば、あの事も自分にとっては大きな行為、時空間だった。

周囲の気配を感じながら、じっと水の流れを眺めたり、
すぐ近くの地面をひたすら見たりもしていた。
何となく重苦しい気持ちも抱えながらだったけれど、少し和らぐようだった。

本当に辛かった時期には病院のお世話になったこともあるし、
ある頃まで、その頃は振り返れないほどだったけれど…。

やっぱりあの頃があったから、それが今プラスとなっているということは
実感するから、無駄やマイナスではなかったのだと。

あの場所へ、いつか行くことがあるのかどうかわからない。
機会があれば行ってみたい気もする。できれば一人で。
でも、行くことがなくても、それはそれでいいのだと思う。
自分の心の中で大切に思っていればそれで。
(今は当時とはすっかり変わっているかもしれない)

あの頃の柔らかい日差しに感謝したい。
何も言わずとも、自分を包んでくれていた自然に。
当時、寄り添ってくれていた音楽たちにも。
そして、生まれてからあの頃まで、
その後、今まで出会った(間接的にでも)すべての方に感謝して。
イースター(復活祭)は、定められている基準により、
年ごとに幅がありますが、桜の時期(今年は早めですね)に重なることも多く、
今日は曇り空ですが、気持ちがより華やぎます。

今月、長らくお会いできていなかった方と再会を感謝し、一時間半あまり
近くの喫茶店でお話したり(子どもさんに関連するお仕事でご理解もいただく)、
クリニックの再開第一回目も無事に終わり、
また頻繁ではなくても繋がらせていただくことに。
先生が、これまでの経過を喜んでくださる。

大した生活でもないのだけど、自分の体調を調整しながら、が、
とても大事なことに思える。
予定も義務的なもの、自発的なもの、色々ですが、
予定に合わせる、ということでは共通なので。
気をつけているつもりでも、失敗することもあるだろうけれど。

朝ドラ「純と愛」、前作の「梅ちゃん先生」も観ましたが、こちらはかなり色々、
朝ドラにしては過激なところもあり、観るのにエネルギーも要りましたが…。
賛否両論のようですが、一貫するテーマが描かれ、私は特に好きな作品。
何度も励まされました。
次のドラマ(しばらく?)は、お休みするかも。
今後、「純と愛」を胸にいこう、とまで思えます。
(最終回に向けて、気になる…)

今年のイースターは3月31日。
クリスマスとこの時期のみの信仰の記事?かもしれないけれど、
私にとって、本当に大事な節目。
イエス・キリストの誕生、十字架、復活…。
この3つにまず大きく支えられているのだと思う。

娘も本人なりに元気で、新年度、学校の継続も希望している。
大まかにでも、一緒に考えながら、年間の予定を表にでもできたら。

私もごぼう茶にも支えられf(^^、無理なく歩いていけたら…。

皆様のますますのお幸せをお祈りして。
いつも同じ台詞ですが、たまにでも発信していたい、と思うのは、
東日本大震災の後からです。


雑記のような内容ですが、信仰のカテゴリーにしました。
自分が一人っ子として育ったので、きょうだいっていいな、と思います。
子どもの頃、よく「何でも独り占めでいいよね」とか羨ましがられたこともあるけれど(実際はそんな贅沢なことはなかった)、
やっぱり友達がきょうだい喧嘩なんかしているのが、こちらは羨ましかったりもした。
お互い、ないものねだりだったのでしょうね^^

夫は兄とふたり兄弟で、仲がいい。
勉強もみてもらったり、並々ならぬ恩を感じているらしい。
男同士、サッパリしたもので、ふだん多く連絡を取ることもないようだけど、
以前、夫が体を痛めた時には、あえて連絡もなしに(私たちに心配かけるだろうと)、
突然、義姉とふたりで関西より訪ねてきてくれた。
私も本当に驚いたけれど、いざ、という時のこういう関係、いいな、と思う。

私もどちらかといえば、人との距離感はそうかもしれない。
かなり置く方かもしれないし…。それが自分にとっては自然なもの。
でも、決して忘れているわけではなく。
こちら側だけの想いで、それが上手く伝わっているかはわからないけれど、
何か連絡をした時に、いつもありがとう、という言葉をもらったり、
それが自分の中では、へ~、こんなに間があいても?という感覚もある。
(逆の立場だと、自分も嬉しいものね)

これからも、色々、自分の心に問いながらいこう。

先日、夫が、仕事で上京した義兄と中継地点で会えたので、よかった。
(今日、祝日は出勤)
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プロフィール
HN:
fuwami
性別:
女性
自己紹介:
関東在住のマイペース主婦です。(関西出身)
小さな(自分にとっては大きな)幸せを大切にしながら…

おめめどう(自閉症・発達障害支援の会社)さんの視覚的支援等が広く伝わっていくことを願っています。

大切なもの*
映画, ドラマ, 音楽, 本, (ずぼらな)ガーデニング, 色彩, 散歩, 自然, Amy Grant , ユーミン, 小野リサ, Mezzoforte, エニアグラム(9つの性格), 聖書…etc.

*ゲシュタルトの祈り('13.1.11の記事)
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