『おめめどう』さんの、自閉症・発達障害への視覚的支援が広まることを願っています!
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本の整理をしていて…、その中に発達関連の本が一冊あり、手にとって開いて少し読んでいると、今の自分がとても共感する部分があった。少し長くなりますが、抜粋させていただきます。
私がおめめどうさんに繋がらせていただくようになり、一年半ほど…で、そのお声からも感じることです。
*
…障害児の親になって25年の東海林朝子さんは、自分の体験を振り返り、また現在、重症心身障害児の訪問看護師の仕事をしている立場から次のように話します。
「ごく普通の人たちに対する苛立ちは、『かつての自分がそうであった』ということから、理解をもつことができて、日を追うごとに同じような言葉を同じようにかけられても、苛立たなくなっていきます。この国は『この程度の文化レベル』なのだと思えるゆとりが生まれてきます。
私は以前タクシーに乗っていて都内の豪邸前を通り過ぎた時に運転手さんから『こういう家に住んでいる人はきっと悩みなんてないよね。幸せだよ』と話しかけられたのです。でも私が『わからないわよ。障害児を抱えているかもしれないわよ』とちょっと投げかけてみると、『そうかそれなら不幸だよな』というんですね。私が『あら、障害児がいたって不幸とかぎらないんじゃない』と返すと、『いや、不幸に決まっている。かわいそうだよねえ』と心底人の良さそうな運転手さんはいうんですよ。まさか私が障害児の親なんて思ってもいないでしょうが。
世間の障害児に対する気持ちをそのままの代表するような運転手さんでしたが、一向に腹が立たなくなっている自分がそこにいるんです。『世間ってそんなもんよね』と許せる気持ちになっていくんです。でも、そうした気持ちになるまではやはり時間が必要です。それまでは周囲に対する苛立ちは否応なくやってきます。
苛立ちを感じている時ほど、孤独にならないよう、自分にストレスを与え過ぎないように本音を語れる専門家や、弱音を吐く自分をも理解してくれる人と話すなどして、心に溜め込まないことが大切です。子どもと向き合うにも、親があまりストレスを抱えているのは好ましくありません。ともかく普通の人たちへの苛立ちはいつか必ず薄れ楽になります。『偉いのね』といわれると、『自分でも本当に偉いと思えるの』というように、自分自身をほめることができる方向に向かい、気持ちが和らいでいきます」
「しかし……」と朝子さんはいいます。ごく普通の人たちへの苛立ちは薄らいでいくけれど、障害児の親子を取り巻く専門職の人たちへの苛立ちは別なのだそうです。専門家の人間の本質にかかわる問題ともなって、付き合いを重ねるごとに苛立ちは増していくのだといいます。本当の苛立ちは、医療、教育、福祉といった専門職の人たちにむけられたものなのだといいます。…
*
もちろん、すべての専門職の方が親から不服をもたれるような存在では決してないでしょうけれど、専門家だからこそ、深く理解してもらいたい、という気持ちは、確かに一般よりも高いですよね。あちらこちらでの現場での本当の意味での理解のなさを聞くとき、悲しい。それは、なにより当事者の方が大切にされていないからでしょう。
私も自戒をこめて、娘本位の支援を、と思わされる。
…実はこの本は、近々他の本とともに買い取ってもらおうと思っていました。(多くの方の生の声が記録されとても良いのですが)
自分にもう今は必要ないのか、それともまだ十分に向き合えていないのかはわかりません。けれど、自分自身の心に問うたとき…、確かに以前よりは軽くはなってきているようなので、この本だけはもうしばらく置いておくとして、今このときを感謝していよう。
(シリーズ?のようですが“不憫”について、また後日まとめのように書くかもしれません)
また、こちらを訪れて下さるのは偏見のないご理解のある方々ですので、皆様に苛立つ、ということはありませんし、記事のように、今、私は関わりのない“一般社会”に対しても、少し離れたところから、そういうものだ、と眺めるような気持ちです。(気持ちが離れているという意味合いではなく自分なりにもっているつもりで)
色々ありながら、片付けも少しずつ頑張りませう…f(^^/
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私がおめめどうさんに繋がらせていただくようになり、一年半ほど…で、そのお声からも感じることです。
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…障害児の親になって25年の東海林朝子さんは、自分の体験を振り返り、また現在、重症心身障害児の訪問看護師の仕事をしている立場から次のように話します。
「ごく普通の人たちに対する苛立ちは、『かつての自分がそうであった』ということから、理解をもつことができて、日を追うごとに同じような言葉を同じようにかけられても、苛立たなくなっていきます。この国は『この程度の文化レベル』なのだと思えるゆとりが生まれてきます。
私は以前タクシーに乗っていて都内の豪邸前を通り過ぎた時に運転手さんから『こういう家に住んでいる人はきっと悩みなんてないよね。幸せだよ』と話しかけられたのです。でも私が『わからないわよ。障害児を抱えているかもしれないわよ』とちょっと投げかけてみると、『そうかそれなら不幸だよな』というんですね。私が『あら、障害児がいたって不幸とかぎらないんじゃない』と返すと、『いや、不幸に決まっている。かわいそうだよねえ』と心底人の良さそうな運転手さんはいうんですよ。まさか私が障害児の親なんて思ってもいないでしょうが。
世間の障害児に対する気持ちをそのままの代表するような運転手さんでしたが、一向に腹が立たなくなっている自分がそこにいるんです。『世間ってそんなもんよね』と許せる気持ちになっていくんです。でも、そうした気持ちになるまではやはり時間が必要です。それまでは周囲に対する苛立ちは否応なくやってきます。
苛立ちを感じている時ほど、孤独にならないよう、自分にストレスを与え過ぎないように本音を語れる専門家や、弱音を吐く自分をも理解してくれる人と話すなどして、心に溜め込まないことが大切です。子どもと向き合うにも、親があまりストレスを抱えているのは好ましくありません。ともかく普通の人たちへの苛立ちはいつか必ず薄れ楽になります。『偉いのね』といわれると、『自分でも本当に偉いと思えるの』というように、自分自身をほめることができる方向に向かい、気持ちが和らいでいきます」
「しかし……」と朝子さんはいいます。ごく普通の人たちへの苛立ちは薄らいでいくけれど、障害児の親子を取り巻く専門職の人たちへの苛立ちは別なのだそうです。専門家の人間の本質にかかわる問題ともなって、付き合いを重ねるごとに苛立ちは増していくのだといいます。本当の苛立ちは、医療、教育、福祉といった専門職の人たちにむけられたものなのだといいます。…
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もちろん、すべての専門職の方が親から不服をもたれるような存在では決してないでしょうけれど、専門家だからこそ、深く理解してもらいたい、という気持ちは、確かに一般よりも高いですよね。あちらこちらでの現場での本当の意味での理解のなさを聞くとき、悲しい。それは、なにより当事者の方が大切にされていないからでしょう。
私も自戒をこめて、娘本位の支援を、と思わされる。
…実はこの本は、近々他の本とともに買い取ってもらおうと思っていました。(多くの方の生の声が記録されとても良いのですが)
自分にもう今は必要ないのか、それともまだ十分に向き合えていないのかはわかりません。けれど、自分自身の心に問うたとき…、確かに以前よりは軽くはなってきているようなので、この本だけはもうしばらく置いておくとして、今このときを感謝していよう。
(シリーズ?のようですが“不憫”について、また後日まとめのように書くかもしれません)
また、こちらを訪れて下さるのは偏見のないご理解のある方々ですので、皆様に苛立つ、ということはありませんし、記事のように、今、私は関わりのない“一般社会”に対しても、少し離れたところから、そういうものだ、と眺めるような気持ちです。(気持ちが離れているという意味合いではなく自分なりにもっているつもりで)
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HN:
fuwami
性別:
女性
自己紹介:
関東在住のマイペース主婦です。(関西出身)
小さな(自分にとっては大きな)幸せを大切にしながら…
おめめどう(自閉症・発達障害支援の会社)さんの視覚的支援等が広く伝わっていくことを願っています。
大切なもの*
映画, ドラマ, 音楽, 本, (ずぼらな)ガーデニング, 色彩, 散歩, 自然, Amy Grant , ユーミン, 小野リサ, Mezzoforte, エニアグラム(9つの性格), 聖書…etc.
*ゲシュタルトの祈り('13.1.11の記事)
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