『おめめどう』さんの、自閉症・発達障害への視覚的支援が広まることを願っています!
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本日のメッセージをブログに掲載させていただきます。
お読みになりたい方は、こちらよりお申込みになれます。
*
数多くのベストセラーを世に送り出した作家・三浦綾子さん。
肺結核、脊椎カリエス、パーキンソン病……長い闘病生活と信仰の果てに生まれた
三浦さんの愛のメッセージ。
* * *
いま生きることに希望を失った人たちがもしいるとすれば、
私はその人たちにいいたいですね。
「自分で勝手に自分の未来を決めてしまわないでください。
こんな未来しか持っていないなどと、わかったような顔をしないでください。
神の書かれるシナリオとあなたの書かれるシナリオとは違うのです」
新約『聖書』に、
「忠節は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。
そして希望は失望に終わることはない」
と書かれています。
人生は思わぬ展開をするものですね。
私たち人間には何もわからないが、しかし、神の御手にゆだねて一歩一歩進めば、
絶望がいつの間にか希望に変わっているということがある。
それはだれの人生にもいえることだと思います。
*
三浦綾子さんの小説、一時期よく読みました。(信仰を持った頃特に)
「塩狩峠」も素晴らしいですね…。
失望に終わることのない希望…、どこまでも続いているこの言葉をかみしめて。
本日のメッセージをブログに掲載させていただきます。
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*
数多くのベストセラーを世に送り出した作家・三浦綾子さん。
肺結核、脊椎カリエス、パーキンソン病……長い闘病生活と信仰の果てに生まれた
三浦さんの愛のメッセージ。
* * *
いま生きることに希望を失った人たちがもしいるとすれば、
私はその人たちにいいたいですね。
「自分で勝手に自分の未来を決めてしまわないでください。
こんな未来しか持っていないなどと、わかったような顔をしないでください。
神の書かれるシナリオとあなたの書かれるシナリオとは違うのです」
新約『聖書』に、
「忠節は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。
そして希望は失望に終わることはない」
と書かれています。
人生は思わぬ展開をするものですね。
私たち人間には何もわからないが、しかし、神の御手にゆだねて一歩一歩進めば、
絶望がいつの間にか希望に変わっているということがある。
それはだれの人生にもいえることだと思います。
*
三浦綾子さんの小説、一時期よく読みました。(信仰を持った頃特に)
「塩狩峠」も素晴らしいですね…。
失望に終わることのない希望…、どこまでも続いているこの言葉をかみしめて。
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(ふたたび前回より続く)
現代の戦争報道についても。(ニュージアムにて)
アメリカ在住の作家・ジャーナリストの冷泉彰彦さんを交え、
池上さんと大江さんとの対談形式で。
当時のアメリカCBSキャスターであったウォルター・クロンカイト。
彼がベトナム戦争を現地取材後、スタジオで発した言葉は国民に衝撃を与えた。
「現状から抜け出す唯一の道は 名誉ある国民として交渉の場に挑む事だ」
その5週間後、ジョンソン大統領は、北ベトナムへの爆撃停止を表明。
ベトナム戦争は、メディアが終わらせた戦争と言える。
湾岸戦争では、厳しい報道規制が敷かれた。
その中で、メディアが規制と戦った。
イラク戦争では、メディアが戦略に使われた。
軍にしても政府にしても、どうメディアを上手く利用しようかと考える中で、
利用されずに事実をきちんと伝えることは難しいことであるけれど、
アメリカのメディアは批判精神が健在とのこと。
最後に、当時のセットの中にたたずむ池上さんの結論として、
戦争とはいったん始まってしまうと、なかなかやめられない状況に陥ることが多いもの。
犠牲者が出ると、その犠牲に報いようとする心理が国にも国民にも働く。
やめるにやめられない、ということに…。
こうした時に、報道が勇気をもって流れを変える役割を果たすことができるはず。
そして、それは戦争報道だけではない。
日常のニュースでも言えること。
どの職業も偉大ですが、危険を冒しての仕事はその方々が強く感じられる
使命感からきているのでしょうね…。
ご覧になられた方もいらっしゃると思いますし、
録画分をみながら割愛しつつ(3記事となりましたが)で、私自身、理解不足ですし、
番組の真意をどれだけお伝えできたかわかりませんが…。
++
今、ささやかでも衣食住が満たされ、当たり前のことができる、
その中にいられる幸せを、過去からみても色々感じます。
日々、どんな小さな事にも関わっておられる神を讃美しつつゆきたい。
現代の戦争報道についても。(ニュージアムにて)
アメリカ在住の作家・ジャーナリストの冷泉彰彦さんを交え、
池上さんと大江さんとの対談形式で。
当時のアメリカCBSキャスターであったウォルター・クロンカイト。
彼がベトナム戦争を現地取材後、スタジオで発した言葉は国民に衝撃を与えた。
「現状から抜け出す唯一の道は 名誉ある国民として交渉の場に挑む事だ」
その5週間後、ジョンソン大統領は、北ベトナムへの爆撃停止を表明。
ベトナム戦争は、メディアが終わらせた戦争と言える。
湾岸戦争では、厳しい報道規制が敷かれた。
その中で、メディアが規制と戦った。
イラク戦争では、メディアが戦略に使われた。
軍にしても政府にしても、どうメディアを上手く利用しようかと考える中で、
利用されずに事実をきちんと伝えることは難しいことであるけれど、
アメリカのメディアは批判精神が健在とのこと。
最後に、当時のセットの中にたたずむ池上さんの結論として、
戦争とはいったん始まってしまうと、なかなかやめられない状況に陥ることが多いもの。
犠牲者が出ると、その犠牲に報いようとする心理が国にも国民にも働く。
やめるにやめられない、ということに…。
こうした時に、報道が勇気をもって流れを変える役割を果たすことができるはず。
そして、それは戦争報道だけではない。
日常のニュースでも言えること。
どの職業も偉大ですが、危険を冒しての仕事はその方々が強く感じられる
使命感からきているのでしょうね…。
ご覧になられた方もいらっしゃると思いますし、
録画分をみながら割愛しつつ(3記事となりましたが)で、私自身、理解不足ですし、
番組の真意をどれだけお伝えできたかわかりませんが…。
++
今、ささやかでも衣食住が満たされ、当たり前のことができる、
その中にいられる幸せを、過去からみても色々感じます。
日々、どんな小さな事にも関わっておられる神を讃美しつつゆきたい。
(前回より続き)
当時の日本では、言論の自由が厳しく規制されていた事実…。
真珠湾攻撃は、予定からの行き違いで奇襲攻撃という形となり、
それが皮肉にも、アメリカの強い一致団結力を生み出してしまった。
池上さんと相内アナウンサーがハワイのオアフ島へ。
現在は国立公園となっている中のアリゾナメモリアル。
戦艦アリゾナは今もそこに沈んでいて、中に1177人の遺体が入ったままとのこと。
その兵士達の平均年齢は19歳…。
自分がその時代にいたら、敵を憎んでいたかもしれない。
しかし本来、敵、味方、関係なく、いのちの価値は同じもの…。
だからこそ、命が奪われることは悲しい。
どこの国も変わらないことだけれど、民間人も多く亡くなった。
パールハーバー太平洋航空博物館へも。
緑色のガラスは当時のままで、銃の痕も。
当時、ハワイの人口の3割を占めていた日系人。
ハワイ(布哇)報知新聞では、国籍人種を問わず、
ハワイの住民は米国に忠誠を誓うよう強く呼びかけられた。
新聞に行動の指針のようなことが書かれていた。
(二世たちは立場上、大変な迷いがあった)
やはり、スパイも出たとのこと。
戦争自体、悲しい歴史ですが、
アメリカのどこの部隊にも属させてもらえなかった、
日系人だけで作られた第100歩兵大隊。
米国に忠誠を尽くし、ふだんは英語を使っているのに、
その部隊の人たちが亡くなるときには、
日本語で「おかあさん おかあさん」と言われていたそう、
日本人の血が確かに流れていることにも胸が詰まる…。
人種差別とも戦った人たち…。
当時の日本では、新聞も武器にされ、偽りの戦況が記事にされたり、
キャンペーン報道(政府のお先棒のように)となっていく。
軍備は縮小すべきだ、というような記事が書かれると、不買運動につながる。
すでに昭和8年8月に、社説で“関東防空大演習を嗤(わら)う”と、
(首都東京が攻撃されるような事態になったら、日本は負け)
しっかりした論理的裏付けをもって、先見の明があった人物がいます。
信濃毎日新聞社の主筆、桐生悠々氏。
後にこの社説により不買運動が起こり、社の存続のために身を引かざるを得なくなった。
(しかし、その後も「他山の石」という個人雑誌を発行し、ペンを武器に軍部、
権力と闘い続けた)
今も、こういう場合、桐生さんだったらどうするだろう、と社員の方々の指針と
なられているとのこと。
“書きたいことではなく 書かなければならないことを書く”との氏の言葉。
++
娘が小学生の頃、雑誌ちゃおを読んでいて、
おのえりこさんの「こっちむいて!みい子」がすごく可愛くて、私もファンでした。
その中で、みい子が広島へ行き、原爆当日になくなった女の子が現れて交流するという
お話があり…、アイスを食べさせてあげたり、で、娘と泣いてました(;;)
作者のおのさんは、この作品のために広島へ取材へ出向かれ、付録の形でその時の
様子が後に漫画と写真で付いています。
夏の初め頃、久しぶりに娘のコミックスでまた読む機会があり、また泣いて…。
まだ続きますが…、次回の記事で最後とさせていただきます。
当時の日本では、言論の自由が厳しく規制されていた事実…。
真珠湾攻撃は、予定からの行き違いで奇襲攻撃という形となり、
それが皮肉にも、アメリカの強い一致団結力を生み出してしまった。
池上さんと相内アナウンサーがハワイのオアフ島へ。
現在は国立公園となっている中のアリゾナメモリアル。
戦艦アリゾナは今もそこに沈んでいて、中に1177人の遺体が入ったままとのこと。
その兵士達の平均年齢は19歳…。
自分がその時代にいたら、敵を憎んでいたかもしれない。
しかし本来、敵、味方、関係なく、いのちの価値は同じもの…。
だからこそ、命が奪われることは悲しい。
どこの国も変わらないことだけれど、民間人も多く亡くなった。
パールハーバー太平洋航空博物館へも。
緑色のガラスは当時のままで、銃の痕も。
当時、ハワイの人口の3割を占めていた日系人。
ハワイ(布哇)報知新聞では、国籍人種を問わず、
ハワイの住民は米国に忠誠を誓うよう強く呼びかけられた。
新聞に行動の指針のようなことが書かれていた。
(二世たちは立場上、大変な迷いがあった)
やはり、スパイも出たとのこと。
戦争自体、悲しい歴史ですが、
アメリカのどこの部隊にも属させてもらえなかった、
日系人だけで作られた第100歩兵大隊。
米国に忠誠を尽くし、ふだんは英語を使っているのに、
その部隊の人たちが亡くなるときには、
日本語で「おかあさん おかあさん」と言われていたそう、
日本人の血が確かに流れていることにも胸が詰まる…。
人種差別とも戦った人たち…。
当時の日本では、新聞も武器にされ、偽りの戦況が記事にされたり、
キャンペーン報道(政府のお先棒のように)となっていく。
軍備は縮小すべきだ、というような記事が書かれると、不買運動につながる。
すでに昭和8年8月に、社説で“関東防空大演習を嗤(わら)う”と、
(首都東京が攻撃されるような事態になったら、日本は負け)
しっかりした論理的裏付けをもって、先見の明があった人物がいます。
信濃毎日新聞社の主筆、桐生悠々氏。
後にこの社説により不買運動が起こり、社の存続のために身を引かざるを得なくなった。
(しかし、その後も「他山の石」という個人雑誌を発行し、ペンを武器に軍部、
権力と闘い続けた)
今も、こういう場合、桐生さんだったらどうするだろう、と社員の方々の指針と
なられているとのこと。
“書きたいことではなく 書かなければならないことを書く”との氏の言葉。
++
娘が小学生の頃、雑誌ちゃおを読んでいて、
おのえりこさんの「こっちむいて!みい子」がすごく可愛くて、私もファンでした。
その中で、みい子が広島へ行き、原爆当日になくなった女の子が現れて交流するという
お話があり…、アイスを食べさせてあげたり、で、娘と泣いてました(;;)
作者のおのさんは、この作品のために広島へ取材へ出向かれ、付録の形でその時の
様子が後に漫画と写真で付いています。
夏の初め頃、久しぶりに娘のコミックスでまた読む機会があり、また泣いて…。
まだ続きますが…、次回の記事で最後とさせていただきます。
記録的な暑さが続き、サプリ等にも助けられながら、の日々です。
夜も、お茶や濡れタオルを枕元に置いたり…。
それでも昨夜は、蝉の声も一緒でしたが、虫の声が聴こえました。
まだほんの僅かにしか感じないけれど、秋の訪れもあるようです。
++
先日の11日に放映された“池上彰の戦争を考えるSP”を観ました。
太平洋戦争はどう伝えられたか、という報道の視点からの特集です。
当時を再現した手の込んだセットもある中でのスタジオ、
ゲストは八千草薫、峰竜太、パックン、真鍋かをりの皆様。(敬称略)
池上さんがテレビ東京ニューヨーク支局の大江さんと共に
アメリカ・ワシントンにあるニュースの博物館“ニュージアム”を訪れる。
言論の自由、表現の自由を守るために世界のジャーナリズムが
どのようなことをしてきたのか、ということが展示されている。
吹き抜けの館内には、世界中の今日の新聞や過去の新聞(450年前のものも)が。
もちろん戦争を伝える新聞も。ピューリッツァー賞受賞写真の数々も…。
ジャーナリストメモリアルには、どれほどの人数かという、
取材中に殉職された記者の方たちの記録がある。山本美香さんのお写真も…。
ひとりの人の命が奪われるということは、本当に痛ましいことで、
その1枚の写真によって、戦争が終わりに近づき、止める力もある…。
世界各国の新聞の一面を見比べると、その国の報道の自由度がわかる、というのも
興味深いことです。(その国の政府を批判している内容が許されるなら、
自由が許され、いいことしか書いていないと自由がない)
ここから、70年前のわが国がどうであったか、という話に及び……、
平和を願っていても、知らないことは沢山あるし、この番組を観て良かった。
さかのぼり、中学の修学旅行での広島、原爆資料館へ行けたことも。
(確か千羽鶴を皆で折って持参した)
長くなるので、また分けて記したいと思います。
++
あまり知らないのですが、戦争に関する歌で、
ちあきなおみさんの唄われる“さとうきび畑”が強く印象に残っています。
中学生の頃にみんなのうた(時々、楽しんでました)でリアルで聴き…、
番組の中で異色のもの、けれど静かに馴染んでいるようなこの歌に引き込まれ、
独特の情感のこもった歌声があたたかく、悲しい。
夜も、お茶や濡れタオルを枕元に置いたり…。
それでも昨夜は、蝉の声も一緒でしたが、虫の声が聴こえました。
まだほんの僅かにしか感じないけれど、秋の訪れもあるようです。
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先日の11日に放映された“池上彰の戦争を考えるSP”を観ました。
太平洋戦争はどう伝えられたか、という報道の視点からの特集です。
当時を再現した手の込んだセットもある中でのスタジオ、
ゲストは八千草薫、峰竜太、パックン、真鍋かをりの皆様。(敬称略)
池上さんがテレビ東京ニューヨーク支局の大江さんと共に
アメリカ・ワシントンにあるニュースの博物館“ニュージアム”を訪れる。
言論の自由、表現の自由を守るために世界のジャーナリズムが
どのようなことをしてきたのか、ということが展示されている。
吹き抜けの館内には、世界中の今日の新聞や過去の新聞(450年前のものも)が。
もちろん戦争を伝える新聞も。ピューリッツァー賞受賞写真の数々も…。
ジャーナリストメモリアルには、どれほどの人数かという、
取材中に殉職された記者の方たちの記録がある。山本美香さんのお写真も…。
ひとりの人の命が奪われるということは、本当に痛ましいことで、
その1枚の写真によって、戦争が終わりに近づき、止める力もある…。
世界各国の新聞の一面を見比べると、その国の報道の自由度がわかる、というのも
興味深いことです。(その国の政府を批判している内容が許されるなら、
自由が許され、いいことしか書いていないと自由がない)
ここから、70年前のわが国がどうであったか、という話に及び……、
平和を願っていても、知らないことは沢山あるし、この番組を観て良かった。
さかのぼり、中学の修学旅行での広島、原爆資料館へ行けたことも。
(確か千羽鶴を皆で折って持参した)
長くなるので、また分けて記したいと思います。
++
あまり知らないのですが、戦争に関する歌で、
ちあきなおみさんの唄われる“さとうきび畑”が強く印象に残っています。
中学生の頃にみんなのうた(時々、楽しんでました)でリアルで聴き…、
番組の中で異色のもの、けれど静かに馴染んでいるようなこの歌に引き込まれ、
独特の情感のこもった歌声があたたかく、悲しい。
●天然氷
「天然水」はおなじみでよく聞く言葉だと思いますが、
「天然氷」…、こちらも実際に存在するものですね。
その昔、平安時代では『枕草子』にも、「あてなるもの」
(上品なもの、良いもの)の中に、
“削り氷の甘葛に入りて、あたらしきかなまりに入れたる”と、
かき氷を食することがあった、と記載されています。
もちろん、当時は、貴族の高価で高貴なものではありましたが…。
“氷室”という冬場採氷された「天然氷」を夏の出荷まで保存しておく所が、
昭和初期のピーク時には全国に100箇所ほどあったそう。
現在は5軒を残すのみとなっているとのことで、かなり希少に。
製氷技術の向上(これはこれで良いことなのでしょうが)による需要の減少、
後継者不足、地球温暖化、自然環境破壊の影響等により…、
存続は容易ではないとのこと。
この天然氷等を使ったかき氷のイベントが、
暑い夏には、百貨店などで催されたりしているそうですね^^
太古や原始的なものにも魅かれるので、時代の流れとはいえ、
こうした貴重なものが衰退してゆくのは非常に寂しさをおぼえますが…。
(氷室も一軒でもいいから、記念館のような建物の形ででも遺されてほしい)
昔、枕草子に少し触れることがあり、
そういえばかき氷が登場していたな、と思い出し、
平安時代の氷って…!?と気になり、こんな記事にf(^^
「天然氷」…、こちらも実際に存在するものですね。
その昔、平安時代では『枕草子』にも、「あてなるもの」
(上品なもの、良いもの)の中に、
“削り氷の甘葛に入りて、あたらしきかなまりに入れたる”と、
かき氷を食することがあった、と記載されています。
もちろん、当時は、貴族の高価で高貴なものではありましたが…。
“氷室”という冬場採氷された「天然氷」を夏の出荷まで保存しておく所が、
昭和初期のピーク時には全国に100箇所ほどあったそう。
現在は5軒を残すのみとなっているとのことで、かなり希少に。
製氷技術の向上(これはこれで良いことなのでしょうが)による需要の減少、
後継者不足、地球温暖化、自然環境破壊の影響等により…、
存続は容易ではないとのこと。
この天然氷等を使ったかき氷のイベントが、
暑い夏には、百貨店などで催されたりしているそうですね^^
太古や原始的なものにも魅かれるので、時代の流れとはいえ、
こうした貴重なものが衰退してゆくのは非常に寂しさをおぼえますが…。
(氷室も一軒でもいいから、記念館のような建物の形ででも遺されてほしい)
昔、枕草子に少し触れることがあり、
そういえばかき氷が登場していたな、と思い出し、
平安時代の氷って…!?と気になり、こんな記事にf(^^
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プロフィール
HN:
fuwami
性別:
女性
自己紹介:
関東在住のマイペース主婦です。(関西出身)
小さな(自分にとっては大きな)幸せを大切にしながら…
おめめどう(自閉症・発達障害支援の会社)さんの視覚的支援等が広く伝わっていくことを願っています。
大切なもの*
映画, ドラマ, 音楽, 本, (ずぼらな)ガーデニング, 色彩, 散歩, 自然, Amy Grant , ユーミン, 小野リサ, Mezzoforte, エニアグラム(9つの性格), 聖書…etc.
*ゲシュタルトの祈り('13.1.11の記事)
小さな(自分にとっては大きな)幸せを大切にしながら…
おめめどう(自閉症・発達障害支援の会社)さんの視覚的支援等が広く伝わっていくことを願っています。
大切なもの*
映画, ドラマ, 音楽, 本, (ずぼらな)ガーデニング, 色彩, 散歩, 自然, Amy Grant , ユーミン, 小野リサ, Mezzoforte, エニアグラム(9つの性格), 聖書…etc.
*ゲシュタルトの祈り('13.1.11の記事)
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