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『おめめどう』さんの、自閉症・発達障害への視覚的支援が広まることを願っています!
2025/10...1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 
先日、こちらの番組が放映されるという情報を前日に知り、録画して拝見するお恵みをいただいた。
プロフィールにも挙げておりますが、ユーミンとMezzoforte(もちろん他のアーティストの方々にも)は、
私が若い頃、心寂しく沈みがちだった時期にどれほど潤していただいたかわかりません。
何十年も経ってから、あらためて宝なのだ、という想いが湧いてくるものだ、と実感しています。

さて、「SONGS」ではユーミンの新アルバム「POP CLASSICO(ポップ クラシコ)」制作時期での、
国内外各地の様子が映し出されます。
ユーミンが学生時代を過ごした街、制作舞台のロサンゼルス、その合間を縫って訪れたパリ…、
冒頭のフランス・ オランジェリー美術館でのクロード・モネの「睡蓮」…、圧巻です。

スタジオでの歌。「ひこうき雲」(ユーミンの実体験が基となっている・映画「風立ちぬ」の主題歌)は
ピアノでの弾き語りで始まり、新曲「Babies are popstars」「シャンソン」も挟まれ…。
地球の未来、来し方、いのち…壮大な愛が描かれている。
最大のパートナー、旦那様である正隆氏の深いメッセージも。

国民的詩人ジャック・プレヴェールの孫娘さんとの交流も、パリを闊歩する姿など、本当に素敵だった。
(昔、ユーミンがゲストのFMの番組内でフランソワーズ・アルディの曲も紹介されてたな…)

フランスには行ったこともないのに、なぜか懐かしい想いがある。
子どもの頃に見たCMのイメージもあるかもしれない。
この度のユーミンのずっと後ろから、ついて回らせていただいたような感覚。

番組の最後、アメリカのスタジオにて、「シャンソン」のストリングスの演奏が最終的に録音され、
完成が近づく中、ユーミンが感極まり、涙をこらえきれず…どんな想いを感じておられたのか…。

おこがましすぎるけれど、ユーミンが流された涙で、また自分が浄化される気がする。
その厳かな、誰も声をかけられないような中での神々しい涙に…。

とても贅沢なひとときを味わわせていただいた。
簡単にしか書けませんが、ユーミンご自身の長い年月が凝縮されているような、
素晴らしい内容がぎっしり詰まり…、じわじわ感動しています。


携帯で写りも腕もよくないですが…たまにupします


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親バカですが、自分にとって大きな出来事?なので記事にしております。

娘へのマフラーが完成して渡せた。
えらく喜んでくれ、すぐに鏡の前で見ながら付け、また袋に丁寧に戻して…。

先週、冬物の買い物に付き添ったとき、気に入るのが見つからないものもあったので、
あらためて週末に、久しぶりに家族3人で大型店へ。
そこへ行くときに、初めて使っていた。おニューの手袋と一緒に。

不器用だし、かぎ針の長編みで端っこにちょっとした飾りをつけたシンプルなの。
色は娘の好きそうなものを選んで…。
(尋ねて選んでもらってからでもよかったかもしれないけれど、驚かせたくて)

だんだん親から、というものを嫌がるかもしれないし(なんでも買い与えてきたわけではないし)、
ほどほどに…だけど、今回、私が編んだ、ということは初めてなのだ。

昨シーズンに糸は購入していたけれど、なかなかで…、
発達面がわかる以前、ずっと前にしても、とても編み物なんてできる余裕はなかった。
(今でも少しずつ合間で、色んなことしながらだけど)

今回、なにか特別な感じがして、私も本当に嬉しい。
(ひとりで喜んでおりますが)

ちょっと変わっているのは、娘は肌が過敏なので、糸はウールではなくコットン。
ネットの通販で手に入れることができ、ありがたい。
この肌触りも喜ばれた。(これが一番)
適材適所?のようなことで、ホッとする。

手仕事も、自分に合った程度、取り入れていけるといいな…。


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本の整理をしていて…、その中に発達関連の本が一冊あり、手にとって開いて少し読んでいると、今の自分がとても共感する部分があった。少し長くなりますが、抜粋させていただきます。
私がおめめどうさんに繋がらせていただくようになり、一年半ほど…で、そのお声からも感じることです。

*

…障害児の親になって25年の東海林朝子さんは、自分の体験を振り返り、また現在、重症心身障害児の訪問看護師の仕事をしている立場から次のように話します。

「ごく普通の人たちに対する苛立ちは、『かつての自分がそうであった』ということから、理解をもつことができて、日を追うごとに同じような言葉を同じようにかけられても、苛立たなくなっていきます。この国は『この程度の文化レベル』なのだと思えるゆとりが生まれてきます。

私は以前タクシーに乗っていて都内の豪邸前を通り過ぎた時に運転手さんから『こういう家に住んでいる人はきっと悩みなんてないよね。幸せだよ』と話しかけられたのです。でも私が『わからないわよ。障害児を抱えているかもしれないわよ』とちょっと投げかけてみると、『そうかそれなら不幸だよな』というんですね。私が『あら、障害児がいたって不幸とかぎらないんじゃない』と返すと、『いや、不幸に決まっている。かわいそうだよねえ』と心底人の良さそうな運転手さんはいうんですよ。まさか私が障害児の親なんて思ってもいないでしょうが。

世間の障害児に対する気持ちをそのままの代表するような運転手さんでしたが、一向に腹が立たなくなっている自分がそこにいるんです。『世間ってそんなもんよね』と許せる気持ちになっていくんです。でも、そうした気持ちになるまではやはり時間が必要です。それまでは周囲に対する苛立ちは否応なくやってきます。

苛立ちを感じている時ほど、孤独にならないよう、自分にストレスを与え過ぎないように本音を語れる専門家や、弱音を吐く自分をも理解してくれる人と話すなどして、心に溜め込まないことが大切です。子どもと向き合うにも、親があまりストレスを抱えているのは好ましくありません。ともかく普通の人たちへの苛立ちはいつか必ず薄れ楽になります。『偉いのね』といわれると、『自分でも本当に偉いと思えるの』というように、自分自身をほめることができる方向に向かい、気持ちが和らいでいきます」

 
 「しかし……」と朝子さんはいいます。ごく普通の人たちへの苛立ちは薄らいでいくけれど、障害児の親子を取り巻く専門職の人たちへの苛立ちは別なのだそうです。専門家の人間の本質にかかわる問題ともなって、付き合いを重ねるごとに苛立ちは増していくのだといいます。本当の苛立ちは、医療、教育、福祉といった専門職の人たちにむけられたものなのだといいます。…

*

 もちろん、すべての専門職の方が親から不服をもたれるような存在では決してないでしょうけれど、専門家だからこそ、深く理解してもらいたい、という気持ちは、確かに一般よりも高いですよね。あちらこちらでの現場での本当の意味での理解のなさを聞くとき、悲しい。それは、なにより当事者の方が大切にされていないからでしょう。

 私も自戒をこめて、娘本位の支援を、と思わされる。

…実はこの本は、近々他の本とともに買い取ってもらおうと思っていました。(多くの方の生の声が記録されとても良いのですが)
 自分にもう今は必要ないのか、それともまだ十分に向き合えていないのかはわかりません。けれど、自分自身の心に問うたとき…、確かに以前よりは軽くはなってきているようなので、この本だけはもうしばらく置いておくとして、今このときを感謝していよう。
(シリーズ?のようですが“不憫”について、また後日まとめのように書くかもしれません)

 また、こちらを訪れて下さるのは偏見のないご理解のある方々ですので、皆様に苛立つ、ということはありませんし、記事のように、今、私は関わりのない“一般社会”に対しても、少し離れたところから、そういうものだ、と眺めるような気持ちです。(気持ちが離れているという意味合いではなく自分なりにもっているつもりで)

 色々ありながら、片付けも少しずつ頑張りませう…f(^^/


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発達面に関して自分の中でもやもやしていたようなものの正体が…
やっとはっきりとわかってきたようだ。

娘の発達面が分かったのは、ちょうど思春期にさしかかる頃で、
本来ならば、親子が距離をとって離れていく時期。
なのに、今まで未知だった発達障害という世界に入ることになり、私は
面食らってというか…、こういうことだったのか、と分かったことでは
落ち着いたのだけど、障害ということを変に?特別視して、
何か特別なことをしないといけないのでは、とずっと思っていた気がする。

何か分からないものを知ろうとするのは大事なことだし、
色々本を読んだり、臨床心理士の先生にお世話になってきて…。

発達面の支援で必要な部分は視覚的に必須だけれど、
後は、というか、土台はごく普通の接し方でよいのでしょう。
まぁ、普通は普通の感覚?でやってきたけれど…。

私は、親だけど偏見のようなものもあったかもしれない。
(そういう意味での不憫に思う気持ちは不要ですものね)

鈍い自分なので、今さら、ということかもしれないけれど、
そこにいる渦中はなかなか見えなかった。(自分の親との関係もそうだった)

気持ちが入れ替わるのには時間のかかることだけど、
ここでまた別の段階でのスイッチが入ってきたように思える。
自分にできることを日々やっていき、後は神様と娘にお任せ…という心境だろうか。

その上で、自分の今とこれからを、過去にも感謝しつつ…喜んでいたい。

この秋、家の中のちょっと配置替えという整理と一緒に、自分の頭の中も…。

私は…親御さんが皆さん思われることでしょうが、娘が幸せならそれで十分に思う。

色々学ばせていただきながらで、感謝。

皆様の豊かなお幸せをお祈りして…!
プロテスタントで洗礼を受けましたが、なぜかカトリックのロザリオを使っておりますf(^^;


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今日は空気は冷ためなものの快晴で、洗濯機2回分をベランダに干せ、気持ちいいです。
娘も現在、ゆっくり調子をとりながら予定もたて、やっているようです。
家族それぞれ違う人間、遺伝的なところはあっても違う性格、面白いです。
その上で理解し合える存在でありたい。

娘は発達面に偏りがあり、コミュニケーションが苦手なところもありますが、
趣味の合う人たちとは割りとスムーズに本人なりに交われるようで、
好きな事を大事に楽しんできたことは良かったと思っています。

ただ、私は母として、娘のそういった人と違うところ、又、
特に学校生活についていけなくなったことをここ数年、
やはり不憫に思ってしまうところがありました。

自分が目立たず、その他大勢の一人として居ることに心地良さ?を覚えるからか、
(個性的な人も好きだけど)そう感じてしまうところがあった。

かわいそう、という気持ちは慈悲につながり、人間のとても尊い気持ちの一つでしょう。
自分がどれほど持てているかはわからないけれど、
こういった類の心情を娘に持ってはいけない、と、昨夏もあらためて気づかされやってきた。
(なんでも、いけない、と禁止するのはよくないし、ありのままの気持ちでいいのだけれど)

ひとりの人間。
ひとりの女性。(18になってからはそう感じるようになってきた)
もちろん障害の有無にかかわらず。

それはとりもなおさず、自分を大切にすることに繋がって。
人を大切にすることにも繋がるのでしょう。そう願って。

金子みすずさんの言葉のように、本当に、みんなちがって、みんないい。

うまく表現できないし、まだまだ自分の中には色んな想いもあるようだけど、
(あって自然だとも思うけれど)またここで改めて記しておきたくなった。


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プロフィール
HN:
fuwami
性別:
女性
自己紹介:
関東在住のマイペース主婦です。(関西出身)
小さな(自分にとっては大きな)幸せを大切にしながら…

おめめどう(自閉症・発達障害支援の会社)さんの視覚的支援等が広く伝わっていくことを願っています。

大切なもの*
映画, ドラマ, 音楽, 本, (ずぼらな)ガーデニング, 色彩, 散歩, 自然, Amy Grant , ユーミン, 小野リサ, Mezzoforte, エニアグラム(9つの性格), 聖書…etc.

*ゲシュタルトの祈り('13.1.11の記事)
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